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zoom RSS 戦争の落とし子・・・篠山線 赤字83線で廃止になったローカル線

<<   作成日時 : 2017/09/02 09:49   >>

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山陽本線のバイパス区間として計画された篠山線
 丹波地方で産出されるマンガンや硅石輸送と海からの攻撃が懸念された山陽本線のバイパスとして福知山線の篠山駅(現・篠山口駅)と山陰本線の園部駅を結ぶ目的(改正鉄道敷設法別表第78号)で建設された。
とwikipediaに書かれています。
実際に笹山線の場合その建設を急いだため、町の中心部を通らなかったと言われています。
戦争中ではありましたが、昭和19年(1944)3月21日に、篠山口駅〜福住駅間 17.6kmが 開業、篠山駅・八上駅・丹波日置駅・村雲駅・福住駅が開業しました。
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しかし、昭和20年8月15日の終戦で、山陽線のバイパス機能及びマンガン鉱輸送の目的が失われたことで建設も中断されてしまいました。
建設に際しては、目的がバイパス機能であったこともあり、町の中心部を通らないで最短経路を目指すかたちであったため、利用者にとっては不便なものであったそうです。
また、元々篠山鉄道と呼ばれる私鉄が走っていましたが、こちらは国鉄笹山線の開通と同時に廃止されています。
どのような線路だったのか、古地図を探してみる必要があるかと思います。

集落を避けて延長された路線

昭和40年頃の空中写真を見てみますと、篠山口から分岐してひたすら真っすぐに進むのですが集落から離れていることが伺えます。
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昭和19年の開業当時の時刻表(復刻版)を参照しますと、篠山口〜福住間は9往復の列車が設定されていますが、4往復が篠山止まりであり、福住まで運転された旅客列車は5本でした。

戦争が終われば、バイパス線としての機能も必要なくなってしまったうえ、市街中心部からかなり離れた位置に駅が設けられていたため、利便性はかなり悪かったと思われます。

昭和35年撮影の篠山市上空の航空写真

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この辺は国鉄もよく認識していたようで、赤字83線にも名を連ねることとなり、地元と交渉を開始、当時の資料は篠山市にもあるとのことなので今後、足を運んで当時の資料等を確認して来ようと考えています。

国鉄発足後すぐに要改善線区として指摘された篠山線

篠山線の営業成績は、国鉄発足後すぐに問題になったそうで、昭和24年7月業務局長からの業務運営の合理化に関する通牒、並びに運輸局長の「運転取扱いの合理化」に関する通牒を受けて、各鉄道局では検討を開始、昭和24年1月には篠山線の合理化が行われたと記録されています。

さらに、昭和33年11月1日には、更なる合理化で早々と駅の取扱範囲変更(荷物輸送の廃止等)が行われたりしています。

 倉吉線小鴨駅、篠山線篠山外四駅の営業範囲を変更(公示三八一、三八四号)11/1
 参考 国鉄があった時代 昭和33年後半

赤字83線の一つとして選定、廃止へ

最終的には、赤字83線の一つとして勧告されることとなりましたが、地元としては反対をする。
まぁ、諸々の理由があったかとおもいますが、最終的に国鉄が押し切る形で、国鉄バスが昭和47年3月1日から、篠山〜福住間で運転を開始が行われています。

最後に廃止直前の時刻表をあっぷさせていただきます。
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廃止後に設定された、園篠線バス時刻表
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鉄道廃止に当たっては、当然のことながら廃止反対運動が起こるのですが、結局j国鉄バスを走らせる。(園篠線)

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