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zoom RSS 消えたローカル線  赤字83線で廃止された・・・川俣線

<<   作成日時 : 2017/11/07 23:19   >>

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川俣線は、東北本線、松川駅から岩代川俣駅までを結んでいた路線で、大正13年に開通したものの、昭和47年3月13日をもって廃止となった路線であり、戦争中は不要不急路線として、昭和18年から昭和21年4月まで営業休止となっています。
本編では、当時の資料、時刻表などを元に当時の川俣線の様子を探りたいと思います。
川俣線は、松川駅から分岐して岩城川俣まで結ぶ路線ですが、川俣羽二重と呼ばれる絹織物以外は目立った産業も無かったそうで、廃止まで一貫して一日6往復程度しか走っていなかったようです。
赤字83線問題の際に、地元との合意で廃止にこぎつけた数少ない路線の一つであり、最終日が川俣線で最も運賃収入が多かったと言う皮肉な結果となったそうです。
なお、廃止の見返りと言う訳ではないでしょうが、岩城飯野駅と、岩城川俣駅に各々C12が貸与されました。

以下は、資料としてご覧ください。

下の画像は、戦後昭和21年4月20日松川 - 岩代飯野間 (6.3km) を営業再開したことを告げる官報告示
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同じく、同年の7月1日岩代川俣駅の営業を再開したことを告げる官報告示
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川俣線は、沿線には川俣羽二重と呼ばれる絹織物の産地だそうですが、それ以外は目立った産業等もなく戦後は合理化を行いつつ、無煙化にも努め昭和41年10月には気動車による完全無煙化を達成しています。
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昭和41年1月の時刻表から引用

全線気動車化された川俣線
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昭和42年2月の時刻表から引用

しかし、こうした営業努力も空しく、営業係数は悪くなるばかりで、廃止前の営業係数が506だったそうですが、バスに転換後は営業係数は、昭和49年の実績で150まで下がったと言った記録もあります。
ただし、運賃も上がっていますから手放しで改善されたとは言い難いとも書かれています。
なお、川俣線廃止後に川俣線で活躍したC12形蒸気機関車が川俣町(岩代川俣駅)と飯野町(川城飯野駅)にそれぞれ国鉄から貸与され引き渡し式が廃止翌日の5月14日に行われたと言う記録も残っています。
現在も飯野町に貸与されたC1260号機は残っているようですが、川俣町に貸与されたC12は逆に記録が無いため解体されたのでしょうか。
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国鉄線 昭和50年12月号から引用

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川俣線の様子 交通技術(昭和47年7月)の記事から引用

最後に、昭和46年10月の時刻表を貼っておきます。
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飯野町で保存されているC1260号機
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