鉄道ジャーナリスト 加藤好啓 地方鉄道研究blog

アクセスカウンタ

zoom RSS 消えたローカル線  赤字83線で廃止された・・・宇品線

<<   作成日時 : 2017/12/06 20:03   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

数奇な運命を辿った宇品線
広島駅から広島港までを結ぶ国鉄の路線がありました。
昭和41年に宇品までの旅客営業が廃止されましたが、昭和47年までは、広島から上大河間の定期旅客のために時刻表に掲載されない列車が運転されました。しかし、昭和47年4月1日には、この路線も廃止。
分割民営化を控えた、昭和61年までは、貨物列車のみが運転されていたと言う何とも奇妙な路線です。

宇品線の歴史
明治27(1894年)8月21日 陸軍省の委託で山陽鉄道が広島〜宇品間に単線の軍用線を敷設、日清戦争の物資輸送などを担当
明治30(1897年)5月1日 山陽鉄道 広島駅〜宇品駅間(3M46C≒5.75km)を陸軍省から借入れて一般営業開始宇品駅開業
明治34年(1901)9月1日 全線休止。
明治35年(1902)12月29日 全線営業再開。宇品駅移転。
明治39年(1906)12月1日 山陽鉄道国有化。陸軍省から鉄道作業局(国有鉄道)に移管。
大正4年(1915) 第一次世界大戦で再び軍事専用線化
大正8年(1919)8月1日 全線旅客営業廃止、山陽本線貨物支線となる。
昭和5年(1930)12月20日 芸備鉄道が鉄道省から借り受け、全線で旅客営業再開、競合する広島瓦斯電気の路面電車に対し、同一の均一5銭運賃と、相次いでの停留場・駅増設で対抗。
昭和12年(1937)7月1日 芸備鉄道国有化、同時に、山陽本線から分離され宇品線となる。
昭和20年(1945)8月6日 原爆投下により、宇品へ負傷者輸送
昭和41年(1966)12月20日 上大河〜宇品間廃止。下大河駅・丹那駅・宇品駅が廃止広島〜上大河間は国鉄線としては存続
上大河〜宇品間をは宇品積卸線として側線扱い。

上大河付近への通学者の利便を図るために旅客営業が広島〜 上大河間のみ時刻表には乗らない列車が存在、乗車は原則として定期券所持者のみに限定された。実際には、車内で補充券を購入する事によってそれ以外の人も利用できた。
1968年(昭和43年)9月:国鉄赤字83線に宇品線(広島駅 - 上大河駅間)が指定される。1970年度の営業係数が4,049と国鉄全線中最悪
1972年(昭和47年)3月7日 国鉄宇品線の廃止を申請
1972年(昭和47年)4月1日 【廃止】広島〜上大河間 「国鉄宇品線」としては全廃
                   廃止後、宇品駅までの全線が東広島駅(現・広島貨物ターミナル駅)を起点とする「宇品四者協定線」として側線扱い以降東広島〜 宇品間 1往復の貨物列車が運行
1986年(昭和61年)10月1日 宇品四者協定線廃止

年表に関してはwikipediaを参考にしました。
画像

wikipedia参照 アメリカ軍の地図には宇品線が記載されている。


宇品線は、元々軍用線として山陽鉄道が陸軍の依頼を受けて16日で完成させたと言いますが、どのような工事だったのか気になります。
さて、当時の資料を見ますと現在の広島球場横を通って、そのまま宇品までほぼ真っすぐ下るそんなルートでした。
画像


この画像で中央付近に見えるのが扇形庫(蒸気機関車の車庫)であり、その左側をから猿猴川を橋梁で渡っているのが確認できます。
戦前の時刻表 (昭和15年)
画像


当時の運転時刻など

戦後の時刻表(昭和31年)
画像


廃止直前の時刻表(昭和41年)
画像


なお、終点付近は現在競輪場があるあたりになります。

昭和37年撮影
画像


現在の様子。
線路跡地は道路に転用される等当時の面影はありません。
画像




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
消えたローカル線  赤字83線で廃止された・・・宇品線 鉄道ジャーナリスト 加藤好啓 地方鉄道研究blog/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる