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zoom RSS 消えたローカル線  赤字83線で廃止された・・・幸袋線

<<   作成日時 : 2018/01/10 21:51  

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線区経営改善研究会の研究成果と赤字八三線選定

国鉄の赤字は、昭和39年に計上し、国鉄解体に至るまで黒字になることはありませんでした。
国鉄としては、昭和42年に国鉄部内に、「線区経営改善研究会」を若手の課長補佐クラス一五人で構成し、赤字線の徹底的な研究調査を行い、具体策をまとめることになっていきました。
「線区経営改善研究会」の概要については、後日blogでアップさせていただきます。

そうした研究成果は、翌年の諮問委員会に反映されて、八十二線区二千六百キロにのぼる赤字線の整理を中心とした意見書を国鉄総裁に提出されることになりました。
これが、赤字八三線として廃止される路線として選定されていくのです。

幸袋(こうぶくろ)線の歴史

誤ったふりがなを書いていましたので、訂正させていただきました。正しくは、(こうぶくろせん)となります。

幸袋線は、炭鉱路線の一つとして建設されたもので、福岡県鞍手郡小竹町の小竹駅と飯塚市の二瀬駅の間を結んでいた他、複数の枝線も保有していました。
当時の航空地図などを見ると線路等の様子が確認できます。





幸袋線略年表(Wikipediaから作成)
1894年(明治27年)12月28日 筑豊鉄道が小竹 - 幸袋間および幸袋 - 幸袋炭坑間の貨物支線を開業、幸袋・(貨)幸袋炭坑の各駅を開業。
1897年(明治30年)10月1日 筑豊鉄道が九州鉄道に合併。
1907年(明治40年)7月1日 鉄道国有法により九州鉄道を買収、官設鉄道となります。
1908年(明治41年)3月28日 幸袋 - 潤野間の貨物支線を延伸開業、(貨)潤野駅を新設。
10月12日 国有鉄道線路名称制定により小竹 - 幸袋間・貨物支線(目尾分岐点 - 目尾間、高雄分岐点 - 高雄間、潤野 - 枝国間)を幸袋線とします。
1913年(大正2年)11月25日 (貨)潤野駅を二瀬駅に改称、伊岐須分岐点を川津聯絡所に改め、幸袋 - 二瀬間で旅客営業を開始。蒸気動車運転開始(幸袋-二瀬間)
1930年(昭和5年)4月1日 高雄分岐点 - 高雄間、川津信号場 - 伊岐須間の貨物支線の起点を幸袋駅に変更し、区間をそれぞれ幸袋 - 高雄間、幸袋 - 伊岐須間(幸袋 - 川津信号場1.6 kmは本線と重複)とします
1945年(昭和20年)6月10日 幸袋 - 高雄間の貨物支線を幸袋駅構内に併合、庄司・高雄の各貨物駅を廃止し幸袋駅構内扱いとします
1959年(昭和34年)12月1日 新二瀬駅を新設
1965年(昭和40年)10月1日 二瀬 - 枝国間の貨物支線を廃止、(貨)枝国駅を廃止
1968年(昭和43年)8月 赤字83線に選定。
1969年(昭和44年)12月8日 小竹 - 二瀬間・貨物支線(幸袋 - 伊岐須間)を廃止
小竹〜二瀬間・貨物支線(幸袋 - 伊岐須間)

幸袋線は、典型的な炭鉱路線であり、炭鉱廃止とともにその使命を失うこととなりました。
しかし、それでも廃止が取り沙汰された昭和42年度でも140tの貨物輸送と143人の需要があったのですが、国鉄門司鉄道管理局と飯塚市役所の担当者が、貨物輸送に利用している会社や通勤通学者の家を1軒1軒訪問し、廃止の同意を取り付けました。とされています。
実際には、地域としても廃止して道路を整備してほしいという要望があり、反対運動は起こらなかったと言われており、飯塚市議会も廃止反対を採択するなどしたため、赤字八三膳の指定第一号の廃止路線として消えていきました。


当時から旅客輸送は希薄だった幸袋線

なお、昭和30年代にはレールバスによる輸送が行われていたとのことですから、石炭輸送は多かったと思われますが、旅客流動は殆どなかったものと思われます。(昭和32年11月4日に4種踏切で、三輪トラックとレールバスが衝突し、乗客。乗員が軽傷、三輪トラックの運転手が死亡と言う記事があります。引用 交通技術 昭和33年7月号)
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NHK新日本紀行にアップされていた幸袋線
https://www2.nhk.or.jp/archives/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004170021_00000

赤字83線の最初のケースとして廃止された幸袋線

幸袋線の廃止は、赤字83線として指定されたローカル線廃止のモデルケースとされ、今後も同様な形で廃止が進むものと思われましたが、実際には地方自治体の廃止反対で、なかなか廃止が進まず結局、当時で廃止までこぎつけたのは半分もありませんでした。

その背景には、ローカル線を廃止しながら、新たなローカル線を建設するという矛盾が生じていたからでした。
実際の鉄道建設は、鉄建公団の建設なのですが、一般的には国鉄がローカル線を廃止しようとしながら新たな鉄道を開通させているわけですから、結果的に廃止問題もそのまま有耶無耶にされてしまいました。
当時赤字83線に選定された路線の多くは、その後の国鉄改革の一環で特定地方交通線として廃止されることとなりましたが、烏山線(宝積寺〜烏山 20.4 km)や参宮線 (伊勢市〜鳥羽 14.1 km) 、指宿枕崎線 (山川〜枕崎 37.9 km) と言った現在も存続し得ている路線や、可部線、只見線、三江線【当時は三江北線・三江南線】、名松線といった路線も含まれていました。
三江線は2018年3月31日で廃止となりますが、赤字83線選定当時の昭和43(1968)年から約50年JRは路線を維持してきたと言えます。
参考

昭和31年時刻表
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昭和44年10月時刻表
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